皆さんは一度は行ってみたい国はありますか。そうたずねられるといっぱいありすぎて困る、と感じるかもしれません。
そこの国に行くとどんなことを楽しめるのかと想像してみるのも良いかもしれませんね。
ブラジルは、日本とは真逆の位置にあります。行くだけでも大変で、飛行機を乗り継いだり、時間もかかるので、あまり行きたい国の候補にあがらないかもしれません。
しかし、ブラジルは日本にはない多くの良いところがあります。ここで、少しブラジルの魅力について確認していきましょう。
ブラジル人の国民性と人柄の魅力
旅行をしていると、その土地の人柄が魅力的だと、また行ってみたいと思うものです。
今からおよそ500年前に一人のポルトガル人がこの国に足を踏み入れました。
その時に気付いたのが、ブラジル人のもてなしや歓迎が素晴らしいということでした。
実際に、1500年ごろ、ポルトガルを支配していた王様、エマヌエル一世にあてた手紙の中で、ブラジルの原住民がポルトガルの訪問者たちと気安くかかわり、抱擁などを受けて、たいそうな歓迎を受けたという報告をしたようです。
実際、皆さんもブラジルと聞いて思い浮かべるのは陽気な雰囲気や明るさかもしれません。
ある調査によると、生活が「苦痛」と感じる割合は、全体の1%以下だという例もあります。
ちなみに日本は、10%です。
生活水準は明らかに日本のほうが上なのになぜ彼らが幸福でいられるのかを探す旅に出かけるのも良いかもしれません。
ブラジルの発見と奴隷の歴史
「魅力的な国民性と人柄」でも少し述べましたが、ポルトガル人が最初に発見したという説があります。(他にも、スペイン人という説もあります。)
ポルトガル人のペトロ・アルヴァレス・カブラルは乗組員を率いて、ポルトガルを出港しました。1500年3月9日のことです。インドのカリカットに貿易所を作ろうとしましたが、目的地に着かないうちに、ブラジルのバイア州に着陸しました。1500年、4月23日のことでした。
ブラジルはポルトガルの植民地だった
ポルトガルは、ブラジルを1532年には植民地として自分たちの領土にしていました。
18世紀になると、金鉱やダイヤモンド鉱石の発掘が盛んになります。19世紀の終わりごろには、ゴムノキから採れるラテックスの生産が経済活動の重要な部分を占めるようになりました。
19世紀末には、ブラジル産のコーヒーが世界のコーヒー生産の半分に及ぶようになりました。
ブラジルと奴隷制の歴史
悲しいことですが、ブラジルの歴史には奴隷制が根深くかかわってきました。今でこそ、自由で楽しい国というイメージがありますが、歴史を見ると、インディオをつかって、ブラジルボクの伐採や、運搬を行わせていました。
原住民はヨーロッパ人の病気に感染し、多くの命が奪われたということもありました。ポルトガル人が、労働力の代わりに、アフリカから大勢の奴隷を連れてきたのです。
こうした歴史や背景もあり、アフリカ人の明るい陽気なダンスなどがブラジル人に広まったというのも今のブラジル人にとっては、ただただ明るい国としてではなく、暗い過去があることを知ると、ブラジルについてもっと知りたいという気持ちななるかもしれません。
ブラジルのダンスと食事を楽しむ
ブラジルには、何百人というアフリカ人が奴隷として連れてこられたという背景があります。
アフリカ人の血がブラジル人にも流れています。それで、その影響を受け、有名なサンバをはじめ、カポエイラ―(これは武術風の音楽)―といったダンスを楽しめます。
食事としては、黒豆を豚肉、ソーセージ・ジャーキーなどと煮込んだ、フェイジョアータといった料理を楽しむこともできます。食事の面でもアフリカ人の影響を受けているようです。
ブラジルにいながらも、アフリカの文化を楽しむことができる不思議を感じましょう。
ブラジル人の国民性と人柄の魅力 まとめ
いかがでしたか。
ブラジルについてこれまで少し見てみることができました。
歴史や背景を知るとその国の人柄に与えてきた影響も知ることができます。
これだけでなく、ブラジルは、自然災害が極めて少ない国としても知られています。
昔と同じ自然が今でも残されています。
ブラジルに行くことができてもできなくても、こうした点について思いをはせるのはいかがですか。 いつか一度は行ってみようとい気持ちになると思いますよ。